2026年7月1日、「プロフェッショナルと価値創造 A」第5回を、ゲストスピーカーとして境亮祐氏(Mitsubishi Heavy Industries America, Inc.、SVP, Investment & Business Development)をお招きし、開催しました。情報理工学院 情報工学系 知能情報コース M2 山村優太が報告します。

該当するアントレプレナーシップ科目ENT.V501/503 修士プロフェッショナルと価値創造A/C
ENT.V603/605 博士プロフェッショナルと価値創造A/C
TAL.S502/507 プロフェッショナルと価値創造 A/C
ゲストスピーカーRyosuke “Ricky” Sakai(境 亮祐), Senior Vice President, Investment and Business Development, Mitsubishi Heavy Industries America, Inc.
開催日時2026年7月1日(水)18:00-20:00
開催場所大岡山キャンパス 南4号館 S4-201

内容紹介

概要

アントレプレナーシップ科目(ToTAL科目)である「プロフェッショナルと価値創造 A」第5回を、対面形式で開催しました。今回のゲストは、三菱重工業の米国法人でスタートアップ投資・事業開発を統括する境亮祐氏。エネルギー・気候テック分野を中心に、米国のディープテック・スタートアップエコシステムの最新動向と、日系大企業から見たスタートアップとの協業・投資・事業開発の実際を、豊富な事例とともに語っていただきました。

境氏のキャリア:プラント建設の現場から、米国での投資・事業開発へ

境氏は京都大学で地球環境工学を専攻し、2006年に三菱重工業へ入社。サウジアラビアでの発電・造水プラント建設を皮切りに、オーストラリアと米国でのCCS事業、テキサスでの石油・ガス事業開発などを経験し、2019年からはヒューストンを拠点にエネルギートランジション分野の投資・事業開発を率いています。米国滞在は14年に及び、その間にライス大学でMBAも取得されました。

講演の冒頭、境氏は、イノベーションは新しい価値の「種」や「可能性」を生み、それを「現実」にするのが事業開発だと説明しました。事業開発とは、ビジネスを創り大きくするために何でもすること(=総合格闘技)。技術系・事務系の区別なく、あらゆるスキルと社内外のリソースを組み合わせて、事業を速く大きく育てる仕事だといいます。

ディープテックとは何か

境氏はディープテックを「科学や工学の根本的なブレークスルーを社会実装し、大きな社会課題を解決する技術・事業」と定義します。その特徴は、市場リスクよりも技術リスク(「本当に実現できるか」)が大きいこと、商業化までに5〜15年以上かかること、実験設備やパイロットプラントに多額の初期投資を要すること。だからこそVCだけでは支えきれず、政府支援や大企業との連携が欠かせません。ITサービスやアプリ開発と異なり、「研究成果」と「高度なエンジニアリング」そのものが競争力の源泉となる世界です。

米国の底力:エコシステムがイノベーションを生む

米国のディープテックを支える構造として、境氏は3つの要素を挙げました。(1)日本の約7倍という経済規模、(2)エネルギー資源・インフラ・制度を桁違いに「持っている」こと、(3)大学、起業家、VC、大企業、政府、市場のそれぞれが密接に関わり合うイノベーションエコシステムです。世界中から起業家精神を持つ人材が集まり、巨額のリスクマネーが供給され、DARPA・NASA・DOEといった政府機関が初期の技術開発を支える。この構造が、SpaceXやOpenAIのような企業を生み出しています。三菱重工の主力製品・事業の多くも、実は米国発技術のライセンスに起因しているという指摘が印象的でした。

大企業の役割:0→1のスタートアップ、1→100の重工業

「スタートアップはイノベーションの速度(0→1)、重工業はスケールと実行力(1→100)。スケールの成功には両方が必要だ」と境氏は言います。エネルギー分野の設備は30〜50年使われ、失敗は致命的で、反復サイクルは遅く、資本集約的。ソフトウェアとは根本的に異なる世界です。だからこそ「Bankability(融資が付く事業性)はエンジニアリングの成果である」——保守的な設計と技術的な確度こそが、資金調達を可能にするのです。

ここで鍵になるのが、「死の谷」と大企業の関係です。ディープテック、なかでもエネルギー・気候テック分野は収益化までの期間が長く、VCファンドの投資期間に収まらないことも多いうえ、初号機(FOAK)の段階では銀行融資も付きません。資金の担い手が途切れる長い「死の谷」を乗り切るには、大きなバランスシートと技術力を持つ大企業が投資・協業のかたちで入り、実証とスケールアップを支え、金融機関から融資を受けられる事業へと育てる必要があります。境氏は、スタートアップには大企業のような大きなバランスシートがないため、大企業が新しい技術を受け入れ、採用、あるいは買収する必要があるというビル・ゲイツの発言を紹介し、有望な技術に死の谷を越えさせることこそが、三菱重工の投資プロセスの狙いだと説明しました。

実例として、三菱重工が関わる3つの大型プロジェクトが紹介されました。第一に、米国ユタ州で進む世界最大級の再エネ貯蔵プロジェクト(ACES)。岩塩空洞にグリーン水素を貯蔵するプロジェクトで、2026年に最大30%の水素混焼によるガスタービン発電を開始し、2045年までに100%再生可能水素での運転に対応することを目指します。第二に、30年以上の実績を持つCO₂回収・利用・貯留(CCUS)技術です。テキサスで稼働した世界最大級のCO₂回収プラント「Petra Nova」の実績を基に、ExxonMobilとのアライアンスなどエコシステム構築が進んでいます。第三に、次世代地熱(EGS)のFervo Energy社への出資。2023年の出資以降、グループ会社がORC設備を受注し、同社は2026年5月にNasdaq上場を果たしました。背景にあるのは、AI・データセンターによる電力需要の急増(2030年に約100GWの見込み)。24時間365日供給できるクリーン電源として、次世代地熱に注目が集まっています。

ディスカッション:日本でイノベーションエコシステムは育つのか

講演後のディスカッションでは、報告者から「米国と日本のイノベーションエコシステムの違いは何か」と質問しました。境氏の答えは、大学・起業家・VC・大企業・政府という、エコシステムを構成する要素の一つひとつが日本ではまだ小さく、それぞれを大きくしていく必要がある、というものでした。そこから議論は「日本の資源や人材で、このエコシステムを大きくすることは本当に可能なのか」という問いへと発展し、米国との構造的な差の大きさを前に、教室には、日本で同様のエコシステムを築くことの難しさを意識する空気が広がりました。

その流れを変えたのが、担当教員の山田先生のコメントでした。「システムの話をすると、アメリカと比べて無理だという結論になってしまう。しかし、ビジネスをやるのはシステムではなく、人だ。人の思いやモチベーションを高めることこそが大切ではないか」。

この指摘は、境氏が講演を通じて示した米国のイノベーションエコシステムの姿とも重なります。その重要な担い手の一つが、自分のアイデアを社会に実装しようとする若い研究者や起業家です。講演で紹介されたFervo Energy社も、スタンフォード大学の大学院で学んだTim Latimer氏とJack Norbeck氏が共同創業した企業です。社会課題を見つけ、既存の技術や研究成果を組み合わせて解決策を生み出し、それを社会に実装する。こうした若い研究者や起業家の挑戦を支えるエコシステムが、米国にはあるのです。

所感

今回の議論を通じて強く感じたのは、「何かしてやろう」「社会をより良くしたい」という若者一人ひとりの想いこそが、イノベーションの出発点だということです。システムの差を数え上げれば日本は不利に見えます。しかし「ビジネスをやるのはシステムではなく、人だ」という言葉のとおり、まず動く個人がいなければ、エコシステムも動き出しません。

同時に、社会の側には、そうした挑戦者を応援できるエコシステムが必要だと感じました。ただしそれは、単なる「支援」ではなく、挑戦が正当に報われる、経済原則に基づいた環境整備であってほしいと思います。境氏が語った米国の姿も、善意による一方的な支援ではなく、市場や資本、政策の仕組みを通じて、挑戦が事業として成立しやすい環境でした。「Deployment is the real innovation(社会実装こそが真のイノベーション)」という言葉を胸に、自分の専門である情報技術をどう社会実装につなげていくか、考え続けたいと思います。

最後に:「技術を社会実装することを目指そう」

講演の締めくくりに境氏が学生に送ったメッセージは、「ディープテックの成否は、研究室や机上だけでなく、エンジニアが設計する現実の産業システムの中で決まる」というものでした。エンジニアリングのリアリズムを持つこと。単一のブレークスルーではなく、システム思考で考えること。そして、社会実装こそが真のイノベーションであること。これから進路を選ぶ私たちにとって、キャリアを考えるうえでの確かな指針をいただいた2時間でした。

報告者

情報理工学院 情報工学系 知能情報コース M2、ToTAL登録生 山村優太